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"ごはんを食べていてまずくなったら、それは家族の危険信号なんです。だいたいテレビドラマでも、家族の間に亀裂が入ると言うときは、ちゃぶ台をひっくりかえすか、作ってくれたものを残して「もう、いらない」と席を立つ場面ですからね。
セックスするまでもなく、男と女はいっしょにごはんを食べるだけで、いっしょに居られる人かどうかはわかるんです。うまくゆかない相手とだと、ごはんの味がしないから。「味がしない」というのは、「この人といっしょにいても、あなたの心身のパフォーマンスは上がらないです」って身体がシグナルを送ってきているわけですから。いくら頭が「いっしょにいるほうがいい」というメッセージを送っても、消化器の方が「いやだ」って言っている。だから、食事の時にたわないことをしゃべっていても、やたら食が進んで、「おかわり」と言える時は、身体が「この人とは相性がいいよ」って教えてくれているんです。(P.57)"
『身体知 ~身体が教えてくれること~』 内田樹 × 三砂ちづる
いっしょにいると
しあわせなひと
(via firedfly)
(via proto-jp) 2009-01-15 (via gkojay) (via luft2501) (via gamsic) (via exposition)
(via hkdmz)
(via tobyluigi) (via error888) (via miewnyao) (via 4hey4hey) (via handa) (via etecoo) (via oosawatechnica) (via yaruo) (via konishiroku)
"古代ギリシャにゼウキシスとパラシオスという二人の画家がいた。
どちらがより写実的に絵を描けるか、その技術を競うことになった。まずゼウキシスが本物そっくりの葡萄を描いた。
絵があまりに写実的だったので、ほんとうに鳥が飛んできて、絵の葡萄をついばもうとしたほどだった。
出来映えに満足したゼウキシスは勢い込んで、「さあ、君の番だ」とパラシオスを振り返った。
ところが、パラシオスが壁に描いた絵には覆いがかかっていた。
そこでゼウキシスは「その覆いをはやく取りたまえ」と急かした。
そこで勝負は終わった。
なぜなら、パラシオスは壁の上に「覆いの絵」を描いていたからである。
パラシオスの例が明らかにしていることは、人を騙そうとするなら、示されるべきものは「覆いとしての絵画」、つまりその向こう側を見させるような何かでなければならないということである。"
Twisted Navel (内田樹の研究室) (via wideangle) (via nozma) (via konishiroku)
2008-07-28 (via gkojay) (via petapeta) (via error888) (via ssbt) (via etecoo) (via kml) (via theemitter) (via yksk) (via hresvelgr) (via avycko9)
"人は、みんな、心をくっつけ合って、生きていくのです。
でも、くっつけすぎには気をつけて、みんな元気な時ははなれて、
じぶんのことをちゃあんとするのがいいと思います。
わたしは、がんばって大きくなります。"
小学校2年生の作文に泣かせられたよ。- Something Orange (via d-d-d) (via aurorae) (via yaruo) (via konishiroku) (via hresvelgr) (via avycko9)
"
1960年代後半、若者を中心にこの言葉を「情けは人のためにならない」と思っている者が多いと、マスコミなどで報じられた事が話題となった。2000年ごろより、再びそのように解釈するものが増えていると報じられる。2001年の文化庁による世論調査では、この語を前述のように誤用しているものは48.2%と、正しく理解しているものの47.2%を上回ったという。
この誤解の根本は、「人の為ならず」の解釈を、「人の為(に)成る+ず(打消)」(他人のために成ることはない)としてしまう所にあるとされる。本来は「人の為なり(古語:「だ・である」という「断定」の意)+ず(打消)」、すなわち「他人のためではない(→ 自分のためだ)」となるからである。
言葉の誤解が広まった背景には、現代語が普及して古語の意味が国民の意識から次第に薄れつつあり、その上に現代語での解釈と、現代的な価値観を合わせてしまった事があると言われる。また「情けは質に置かれず」(経済的な意味のない情けは役に立たない)とか、「情けが仇」(情けがかえって悪い結果になる)ということわざがあることも、誤解を広めた一因でないかとも言われている。
そのため、時代の変化により語の意味や解釈が変化してしまう例として、取り上げられることも多い(「助長」も孟子によれば、元は「急に成長させようとして無理に力を加えれば、かえって弊害が大きい」という意味であった)。
"情けは人の為ならず - Wikipedia (via netclip) (via uessai-text) (via kuzu)
"生存が他者との強い協力関係の上に成り立っていた時代から、近代になり商品群に囲まれてお金があれば生きていけるようになると、自我が肥大して個人主義になり、他者関係は煩わしくなる。さらに現代では商品が深く生活の細部まで浸透し包囲する「貨幣依存」によって、「他者回避」が商品そのものとして価値をもつわけです。"
ネオリベラリズムは「貨幣依存」から「他者回避」そして「信用格差」 - pikarrrのブログ (via proto-jp) (via yaruo) (via kuzu)
"凄くモチベーションの高そうな人にどうしたらやる気を保てるか訊いたら、モチベーションに頼るのは堕落の始まりだから、やるべき事をこなす機械になれって言われたっけ。"
Twitter / mika (via rpm99) (via usaginobike) (via nemoi) (via tohya) (via mendokusai) (via otsune) (via kasahi) (via gakkie) (via oosawatechnica) (via yaruo) (via kuzu)
"日本社会の美徳は人に迷惑をかけないこと。これがみんなの不幸を生んだりする。地球の裏側では人の楽しんでいることに水をかけないこと。これが結構みんなを幸福に。Twitterはもっとブラジル化していい。"
ふぁぼったー / tomo_nada : @tsuda さんの『Twitter社会論』RTをめぐって。日本社会の美徳は人に迷惑をかけないこと。これがみんなの不幸を生んだりする。地球の裏側では人の楽しんでいることに (via nakano) (via lovecake) (via yaruo) (via kuzu)
"今までの人生が暗かった分、大学生になれば明るい青春時代を過ごせると思い込んで入学したが、それも虚しくまたもや当然のように暗い青春時代を過ごすことになる。入学したての頃はみんながはじめて顔を合わす人同士で私のことをよく知らないのでまんまと同じゼミの一つのグループの中に入る。「私がこんなにたくさんの友達と話せるなんて夢のよう」と思う。しかし普通は時間が経てばみんなと馴染んでどんどん仲良くなっていくと思うが、私の場合逆に時間が経てば経つ程化けの皮が剥がれ次第に人との間に大きな溝ができてしまう。なぜなら私は”人を寄せ付けない何か”を持っているからだ。その”何か”とは何か、永遠のテーマである。ちゃっかりグループに紛れて食事をしても明らかに私だけが浮く。グループで私が先頭で歩いても誰も隣りに来てくれない。一年の前期の最後の方にはそのグループの中にも入れない空気になって独りになる。そう、最初思ったことはやはり夢だったのである。私は孤立した。"
(via kellivengeance)